本家より抜粋11
しばらく閉じていた瞼を開けると、俺の目の前にはプールがあった。
何の音も聞こえない、静かで、不動の景色。
見慣れたかと訊かれれば、そうかもしれなかった。
2.
俺がここで始まった時点で、俺にはもう一つの仕事があることも知っていた。
それはキノコの販売よりも重要な仕事のはずだった。
そして、その事実が余計に俺を困らせた。
『藤岡ハルヒの涙が溜まるこのプールを管理すること』
意味が分からなかった。
まず始めに、藤岡ハルヒが一体誰なのかという疑問が浮かんだ。
俺にとって、赤の他人の涙が何のメリットになるのか、全く理解できなかった。
ついでに言ってしまえば、何をどう管理すればいいのかも分からなかった。
多分、この世界で唯一混乱した事だったように思う。
「またのお越しを」
明らかに耳の遠くなったであろう客に一応声を掛け、その背中を見送る。
それから視線を滑らせて、プールをなんとなしに見た。
何をすればいいのか分からないまま、結局ここまで来てしまった。
これで女王陛下からお呼びでもかかれば、自分の首と引き換えに正確な仕事内容を知ることができたのかもしれない。
しかし幸いにも、この動きにくい体の何処も、斬られて軽くなった覚えがない。
プールの中には奇妙なワニ共がいるようだが、一度もこちらへ襲い掛かったことはない。
勇敢にこのプールで泳ごうとする者も、未だにいない。
いつもの自分からすれば随分と幻想的な、あまりにも馬鹿げた仮定に違いなかった。しかし、
『見守ることが仕事』
いつの頃からか、勝手にそれが事実として俺の中に居座っている。