今日は慰霊の日

沖縄にいると自然と分かる日。でも、沖縄を離れた途端にわからなくなった。
沖縄にいる子に「今日休みだよー」と言われるまで気づかなくて、そんな自分が悲しかった。
私の育った沖縄は、梅雨が明けたあと一気に空気が変わる。太陽の日差しが厳しくなって蝉がミンミン鳴き出す頃は、「そういう空気」になる。
私にとってそれはあまりにも当たり前すぎて、「今年もきたなー」とか、その程度の気分だ。
それを「若者の意識が低くなっている」と言われると否定できない。だって今日は特別なんかじゃない。365日の中の一つでしかない。
お盆になると親戚が帰省してくるように、大晦日にはそばをすするように、6月23日はテレビの生中継をだらだら流しながら黙祷を捧げる。
毎年通ってきた、当たり前の日だったんだ。
気付いて、自分がむなしくなって、今からでも遅くないよ、と言われたのでその後黙祷した。
そのとき思い出したのは、生中継の映像だ。蝉のうるさい場所で、見てるだけで暑そうな黒スーツの人達が黙祷している、あのテレビ画面。
人の頭がぶっとんでたり、今しがた片足取れましたーみたいな状態の人達の映像も見たことがある。
でも、慰霊の日はそんな映像よりも、遺された人達の黙祷がやけに頭を回る。毎年そうだった。
戦争にリアリティを感じられないのはどうしようもない。体験してないんだから。
でも、遺された人を見ているだけでも、何かが違うと思うんだよな。・・・甘えてるかな。