完成形?

昨日の一人議会*1のお題はコレでした。
『人の完成はどこだ?』
「完成」をどういう基準で以って「完成」と言うのか、それだけで違いがありそうです。
母親の胎内で体が作られ、もういつ出てきても構わない、という状態は「完成」だし、
胎内から出てきて初めて呼吸をした瞬間が「完成」かもしれないし、
大人が「完成」だとすれば、身長が伸びて体が出来上がる中高生あたりとも言えるし、
精神的な話まですればもっと先が「完成」なのかもしれない。
でも、最後に行き着いた答えっていうのがねぇ〜・・・
『人は死ぬまで成長する、それなら死が完成形なのではないか?』と。
「完成」っていうのは「完全に成る」わけですからな。これ以上ない形までいかなきゃ。
人は死ぬまで何かを学ぶだろうし、何かを考えるし。
なら、記憶・知識(死ぬとはどういうことか、まで)を一番吸収した状態がベストなのか。
いや待てよ、じーちゃんばーちゃんになれば少しずつ物を忘れるなあ・・・
こういう風にうだうだ考えてたらすとーんと降りてきたリリック。
『俺は未完成でも光ってる』
あーなるほど!人間は一生未完成なのかもな!
というよりも、子孫を残そうとする生物は全部だな。続けることがおいら達の仕事だから。
親は子が心配でおちおち自分に構ってられないらしいけど、
それは「完成」という考え方でもそうかもしれないっすねぇ〜・・・
なんつってね!なんつってね!

*1:夜に一人で思い巡らす想像・妄想の類